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Author:OGI
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糸満へと南へ下る。

沖縄戦は大勢が決した那覇陥落以後も、本土への侵攻を少しでも遅らせるための消耗戦を選択した日本軍により、民間人も巻き込んだ悲劇となったことは誰もが知っているところ、教科書の記述で知るのは簡単ですが、那覇から南へ南へ追い詰められていったその道を実際に通っていくのは同じ知るにしても重みが違います。糸満へ近づくにつれ、さとうきび畑と沖縄石灰岩と森、という、我々のイメージする沖縄戦の光景が広がります。

平和祈念公園。

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沖縄戦終焉の地。
ここ一帯に押し込まれた日本軍と沖縄の人々は、およそ2か月近くも極限状態に耐えねばなりませんでした。
広大な敷地には資料館、祈念棟等を配し、一体として戦没者への慰霊の場を形成しています。断崖からの海原が非常に綺麗で、やはり70余年前にあのような惨劇が起こったとはとても思えませんが、ここで数万の人々が命を失ったことを思うと、この美しい風景が全く違うものとして映ってしまう、これもまた悲しい。
多くの貴重な証言を見る/読むことができる資料館を後に、「平和の礎」へ。

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満州事変以後の戦争で命を落とした沖縄の方々、そして沖縄戦で戦死された方々の名前が、人種軍民の区別なく刻まれています。
18万の戦死者、と数で言ってしまうのは簡単です。しかしそれが名前として現されるとき、18万人それぞれの人生があったこと、そしてその人生をここ沖縄で終えねばならなかったこと、その理不尽と無念を想わざるを得ません。ここに刻まれた人たちは一体どういう思いで死んでいったのか。砲弾の雨の中で、暗くじめじめしたガマの中で、そして断崖絶壁の上で―日々安穏と暮らしている僕らには到底想像のできないものであり、哀痛極まりない。戦争とはただただ凄惨でしかないことを再び思います。それは勝ったアメリカ兵も違いはないことを、この碑が教えてくれます。

丘の上には、戦没者墓苑があります。
波の音が聞こえ海原が見下ろせるここで、せめて安らかに眠っていただきたい。
現在でもこの墓苑への遺骨の収容は続いています。その遺骨は誰のものかも分かりませんが、それは同時に取りも直さず、平和の礎に刻まれた「誰か」です。今までこんな気持ちで手を合わせたことはありません。

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この海の青さが綺麗であればあるだけ、悲しみも深いように思います。
僕はこれまで散々戦争について考えていたつもりでしたが、今回沖縄に来て、初めて戦争というものを理解したように思います。どんな文章も映画も、実際の場所に来てみて経験する以上のものではない、そういう旅行でした。何か書き足らないようにも思いますが、考えれば考えるだけ悲しいのでこの辺にしておきます。
2017/04/07 20:03 歴史 TB(0) CM(0)
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