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翌日。
さーたーあんだぎーをつまみにオリオンビールを呑みすぎ寝坊した結果行動範囲が限られる事態に(阿保

浦添ようどれ

琉球古王朝の陵墓であり、古都です。京都に対する奈良みたいな
あえて首里城をスルーするこの勇気ね。(まじバカ
ナビに従いすぐそこまで来ているのにたどり着けない現象が発生、3週くらいしてやっと脇道に看板を見つけ、到着。これはわからん

歴史館みたいなのがあって、発掘品や陵墓内部のレプリカなどが見れます(石棺内の骨まで再現してあって本格的)。地方の歴史館系は大概金の無駄なことが多いのですが、逆にここを見ずにようどれだけ行っても片手落ちだと思います。休日にも関わらず僕一人しかいないこともあり案内のおばちゃんに概説してもらいながら1時間ほど話し込む。こういうのいいですよね
石棺の意匠が仏教だったり、発掘された高麗瓦の銘文が高麗の三別抄滅亡と同年であり、琉球まで逃げてきた高麗人が作った可能性があるというのは興味深かったです

urze.jpg

この歴史館はかつての首都であった浦添城跡に建っており、遷都と戦争で城跡としてはほとんど面影を残していないとのこと、確かに城壁の一部が再現されている程度で、昨日の勝連城のようにはいきません。「ハブに注意!」と言う看板がいかにも沖縄。

ようどれ=夕凪の意味とのことで造営したのは英祖、かなり初期の王でなのですが発掘調査の結果、歴史書の記述通りの13世紀造営が裏付けられたとのことで、その存在は伝説上に留まらないことが確かめられました。すげえ
実証も去ることながら王朝が変わっても、400年間伝承が正確に伝えられてきたということでもあり、何が何やら分からなくなっている天皇陵とはえらい違い(ry

代々の王朝に大切に守られてきましたが沖縄戦でここ浦添城跡は那覇防衛の最重要拠点として激戦地となり、ようどれは大きな被害を受けました。近年になって調査及び復元がなり、ほぼ当時の姿を取り戻したとのことです。

youdore.jpg

城壁の脇道を下へ降りていったところに、ようどれはあります。勝連城のような石垣が印象的、戦前に写真撮ってたんでここまで詳細な復元ができたんですね、岩盤を刳りぬいて作った門は爆撃で天井がなくなってしまっているのは非常に残念。これがあるとないとでは印象が全く変わりますね。なんとか復元できんもんでしょうか

urzem.jpg

同じ場所の戦前の写真。うーむ凄い
いかに復元できたとはいえ、この光景は帰ってきません。返す返すも残念です。

墓前。

img16deb88ezikbzj.jpg

だーれもいない、とても静か。
こういうのを求めて旅行していると言っても過言ではありません。首里城だったらこうはいかないでしょうね
沖縄県とかいって日本の一部であることが大前提になってますが、元はと言えば琉球王朝という一つの国だったわけで、その聖地であったこの場所は何とも言えない静謐と歴史の重みを感じます。頭を垂れます。

IMG_0814.jpg

ようどれから見えるのは浦添湾、米軍の上陸地です。これから向かうは糸満。
2017/03/28 22:56 歴史 TB(0) CM(2)
コメント
ogiの沖縄シリーズいいねえ。
司馬遼の街道をゆくみたいだ。
2017/03/29 04:01 neet_k URL [ 編集 ]
Re: タイトルなし
司馬遼は言いすぎですがお褒めにあずかり光栄です笑
2017/04/07 01:46 OGI URL [ 編集 ]















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