音楽/仏像/日々雑感
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Author:OGI
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本格的に寒いですね。ついに暖房始動しました



岡本喜八監督作品『血と砂』1965年作。

同監督作品は『日本の一番長い日』しか見たことありませんが、ファーストカットから岡本映画と分かる個性というか、アクの強さがありますね、独特の勢いがあります。白黒のコントラストの強さ、カット割りの多さ、役者の顔大写し等。好き嫌い分かれるんじゃないですかね、好きな人は目茶目茶好きみたいな。

本作も例に漏れません。
時は終戦間際の中国戦線の荒野、に高らかに鳴り響くディキシージャズ「聖者の行進」、13人の青年兵が軽快に振付ながら無人の荒野を「パレード」する、というこれ戦争映画?ミュージカル?コメディ?何が何やら感。このままハチャメチャに突っ走るのかという予想は、馬に乗った三船敏郎曹長(遠景だけで三船と分かる乗りこなしっぷり)により裏切られ、これがちゃんとした戦争映画だと判明します。このへんのギミックは流石

狂ったように演奏してた青年兵は音楽学校出たての新兵であり、ろくに武器持ったことないわ戦闘時にも楽器手放さない等ありえない設定なんですが、三船と上官役の仲代達也の「正統派な演技」が、戦争映画からの脱線を押し留める役割を果たしています。特に三船敏郎の頼もしさは異常笑この楽団率いてでも勝てると思わせます。『日本の~』でも狂気的熱演してた佐藤充、黒澤映画でもおなじみの伊藤雄之助も素晴らしい。

終戦間際という悲壮感は殆ど感じられず、また戦争映画にあるテーマを全部ぶっこみながらそれらをことごとく軽く流し、代わりに全編を支配するのはジャズの軽快なリズムであり、それに乗せた13人の青春群像、の皮を被った反戦映画。
こんな風に「戦争は悲惨で愚かである」ことを言ってしまう岡本監督のセンスに脱帽です。
2017/10/19 19:10 映画 TB(0) CM(0)
後半からは怒涛の阿弥陀・阿弥陀・阿弥陀…

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快慶は確かに天才です。同時期の慶派彫刻でも抜きんでたレベルにあるものだと思います。東大寺復興において康慶子息の運慶と並んで大仏師に推されたのは、重源らの後押しだけではなく本人の技量があったればこそかと。
しかしよく言われるように、後半生の快慶は作風が硬化していき、かつての魅力が見られなくなっていきます。作品ごとの波も激しい。このへんがどんどん進化していった運慶と比べると分が悪い…本展覧会でもその波を見ることができます。

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高野山の諸仏(神沙大将、金剛神像)は、あの金剛力士吽形を造った同一人物の手になるものとはとても思えません。特に残念すぎる神沙大将は後補か工房作品だろうと思ってましたが、近年の修理で紛い事なき快慶作品だと判明、釈然としませんでした。しかし本展覧会でその原因が透けて見えます。
展覧会解説によると快慶は、修法用仏画の彫刻化を求められることが多かったらしく、確かにその図像を忠実に三次元化しています。なるほどこの種の仏像には快慶の個性が出づらく、また作風にばらつきが出るのも理解できます。また快慶作品に通底する「良くも悪くも表層的」な要素もここに大きな要因があるように思います。

また「巧匠安阿弥陀仏」の墨書を以て快慶真作とするのも?で、信仰者である快慶が、工房作品にも作善の意を込めて墨書した可能性大いにあるのではないでしょうか。ここに見る大量の阿弥陀は、とても一人の手になるとは思えない多様な表情/表現があり、しかも何パターンかに分類できそう、西洋の工房みたく目だけ彫ってはいマスターピースみたいな状況があっても不思議ではありません。快慶作品の出来不出来にはこのような工房作品の存在を抜きにしては考えられないように思います。あの運慶ですら浄楽寺毘沙門/不動という、明らかに工房作だけど大仏師運慶と墨書してる例もありますからね(じゃあ墨書があるものとないものの違いはなんじゃとかそんなこと言ったら何が何やら分からなくなるわという批判は置いておいて)

このあたりのスタンスに、あくまで自分の進化を求めた運慶と、あくまで信仰者であった快慶の絶対的な差異を認めることができます。運慶が日本史上有数の彫刻家であることは紛い事なき事実ですが、今回これだけの快慶作品を見るに、運慶と比較するのは無意味だと思うようになりました。

後年の快慶は確かに作風も硬化し、弥勒菩薩を造った時にあった人体表現の確かさも失われ、ひたすらに煩雑な衣文を刻むことに終始しているように見えます。しかし思うに快慶はもはや人体表現などどうでも良く、自身はあくまで阿弥陀の信仰者であり、念仏者の願いに応じてただひたすら阿弥陀を彫り続ける、そこにこそ自身の生きる道を、宗教を見出していたのではないかと。
膨大な数の阿弥陀立像は、彫刻家としての盛衰を忘れさせるものです。運慶とは単に追求する道が違っただけのことで、決して重源死後抜け殻になってしまったということではないのではないかと。
やり方は違いますが、宗教者としての生き方は円空に通じるところがあったんではなかろうかとも思います。

快慶死後、その様式は日本人の仏像観の一典型として記憶に刻まれるまでになります。
それは一阿弥陀信仰者として、仏のあるべき姿を追及しつづけた快慶にとって、これ以上ない「造仏」だったのではないかと。(これが現代人には反転して安阿弥様=抹香臭い仏像の代表格となるのは劣化コピーを生産し続けた後代の仏師の罪であり、快慶はそういうところとは別にいると思います:蛇足)
2017/10/17 17:33 美・探訪 TB(0) CM(0)
(えー現実では運慶展が始まっていますがこれは春の話)
おお大仏師が呼んでいる

奈良国立博物館 『快慶展』

死後800年、初の大回顧展です(遅すぎ
回顧展は言い過ぎですが、江戸時代以前で個人にスポットライトを当てて展覧会ができる仏師は、知名度から言っても残された作品の数から言っても快慶か、夏に東京で開催の運慶くらいのもんでしょう。定朝もできそうですが阿弥陀だらけになるので(ry
仏像に興味を持ち始めて以降。その作品の大部分は見てきたはずで、今回はスルーしようかと思ってましたが展示一覧見てたら最終日にギリ間に合うというのもあってムラムラと行く気が…

快慶。
言わずと知れた鎌倉期を代表する仏師であり、「アン阿弥仏」=仏師である以前に阿弥陀如来の信仰者として作仏を続け、その様式は『安阿弥様』として日本人のイメージする仏像観を決定づけたという意味でも、偉大な芸術家であったと言えます。
今回展覧会ではその最初期から晩年まで-南都仏師としての出発、宋画を取り入れた絵画的洗練、宗教図像の忠実な三次元化、安阿弥様の確立-という、快慶の事績は一通りみることができ、この意味では回顧展といって間違いではありません。仏師の作風の変遷が見れるほどに作品が大量に残っていることも、快慶の特色といえます。

運慶が円成寺大日如来から既に天才であり運慶であったように、快慶もそのデビュー作である弥勒菩薩立像からすでに、驚くほど「快慶」です。

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この体のひねり、重心の確かさよ。素晴らしい仏像がそうであるように、本像も像自身に重心と重力を感じることができる、すなわち人体の構造を正確に理解し表現しているだけではなく、超越者として現しています。
後に作風から姿を消してしまう南都的な肉感表現や生々しさがある分、快慶の技巧の高さをより一層確かめることができます。これ見るのは2回目ですが、見れば見るほど傑作。これがボストンにあるというのは何とももったいない、いっぱいある阿弥陀と交換(ry

向かいにある醍醐寺弥勒菩薩も言わずもがな素晴らしい。これは遠くない未来国宝なるな
解説にもありましたが、この時期からすでに絵画的な表現が顔を出しており、この醍醐寺は特に「絵から抜け出してきた」感が顕著です。胴体から腕にかけての衣文表現は現実であればありえないところを、「2.5次元的に」処理しており、しかもそれが嘘に見えないあたりに快慶の技巧と彼の目指した理想を感じます。

この後も僻地にあるため見ることが叶わなかった諸仏も一堂に会しており、非常にありがたい。田舎のお堂で見るのも格別ですけどね
続く。
2017/10/05 21:24 美・探訪 TB(0) CM(0)
平日の夕闇に降り立つはお台場。

リアムギャラガー来日。

予想通りBeady Eyeも瓦解し、以後は聞こえてくるのは相変わらずの歯に衣着せぬオモシロ発言だけで音楽活動からは遠ざかってしまったように見えましたが、ようやっとソロで始動。アルバム発売前に欧州アジア含めたミニツアーを慣行しています。この日はサマソニ出演前の単独公演。そんなんなのであまり期待もしていませんでしたが初日だから声も良いだろうとちょっぴり期待もして参戦。

目指すは駅から徒歩1分のZepp Tokyo…迷うというね笑 ここ分かりづらくないですか?駅降りたとこで看板見逃したらジエンド
流石に英国ロックを代表する眉毛だけあって会場は超満員、Beady Eye来日時と同じくベッタベタなBGMの中暗転

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1. Fuckin’ In The Bushes
2. Rock ‘n’ Roll Star
3. Morning Glory
4. Wall Of Glass
5. Greedy Soul
6. Bold
7. For What It’s Worth
8. D’You Know What I Mean?
9. Slide Away
10. Eh La
11. Chinatown
12. I Get By
13. You Better Run
14. Universal Gleam
15. Be Here Now
16. Wonderwall

ソロ曲を中心にして合間にOASIS名曲を散りばめ、何とか盛り上がりを組み立てた構成。オープニングSEからOASIS時代と一緒なのはもはや開き直りですね笑 不満があるとすればBeady Eye曲ほぼ無視という…このへん組み込めばもっと盛り上がったように思います。時間にして70分程度と超短いのは織り込み済、でもだったらチケットもうちょっと安くしてと(ry
リアムの調子は上々でしたし客の盛り上がりも上々でしたが、OASIS曲も3rdからの曲が全然盛り上がらないのにはちょっとびっくりしました。個人的にはOASIS時代にはほぼ無視してた3rd曲が最大の聴き所でしたからね。「D'You Know What I Mean」最高。

そして問題のソロ曲ですが、やはりというかBeady Eyeの頃からあんまり変わってねえなあという印象。
リズムも同じようなものが多いし歌メロも魅力に欠ける、「Songbird」書いた才能はどこいったんだと…あの声だけで聞かせてしまうというのはありますが。シングル「Wall Of Glass」はじめバンドメンバー作曲のものはまだ聴けるのが救いかと。何だかんだいって買うけどね。

OASIS再結成してほしいなんて微塵も思いませんが、リアムギャラガーに安息の地を見つけていただきたく思います。今のお兄ちゃんに構って攻撃してるままじゃなんか悲しい
2017/09/27 18:57 音楽K~N TB(0) CM(0)
え?このまま秋になっちゃうの



『Crazy Diamond』シドバレットの2ND『BARRET』

どえらい才能がありながら薬のやりすぎでPINK FLOYDをクビになり、それでもその才を惜しんだフロイドのメンバーの助け(ヘルプの中心になったのはバレットの代わりに入ったデビッドギルモアというのも何とも因果な)を得ながら造られたソロアルバムの2作目。

基本バレットの取り留めない、悪く言えば垂れ流されるだけの弾き語りドラッグソングを何とか聴ける形に持って行っていった、バックバンドのことなんか気にも留めないバレットとそれに必死に合わせようとするメンバーの苦労が染み出てくる、でもそれがバレットの終始気だるくも危うい空気とあいまって、聞き流させない中毒性があります。

ロック的なスリリングさがあった1stと比べ、更にダルに気だるく、お経ばりのメロディーが垂れ流されています。ギルモアのギターとリチャードライトのkeyの彩りがデモテープばりの弾き語りを辛うじて音楽として成立させている感じ。ここでのバレットはどっか行っちゃってるのかやる気がないのかすら分からないレベル。でも好きやで
2017/09/24 04:21 音楽S~Z TB(0) CM(0)
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