音楽/仏像/日々雑感

音楽と共にある生活

Black Masquerade

部署異動、東京のままですが出戻りです。思ったより早かったのう
引き継ぎやら何やらで疲れが溜まったのか遊んでるまっただ中に熱出て死ぬ有様…



再編成95年レインボーから、デュッセルドルフ公演。
当時FM放映されてたのを20数年経ってから公式発売…よっぽどネタがないんでしょうか。

ドイツツアーの序盤にあたり、勢いもありながら余裕も感じさせる演奏です。ドギーも元気。
この時期のはオーディエンス録音のばっか聴いているんでオフィシャル並(てかオフィシャル)の音質が非常に新鮮。…ですがSEのミスで「Spotlight Kid」の最中にエンディングにかかるはずの「Somewhere Over The Rainbow」が流れてて笑えます。これ何ともならんかったんですかね、これを商品として堂々と発売する神経が(ry
リッチー>その他な音量バランスはオフィシャルでも一緒なのは笑えますが、ドギーやチャックバーギのプレイも3割増しくらいでかっこよく聴こえます

あまり注目されない再編レインボーですが、これを機に注目されれば良いなあと。少なくとも81年以降のレインボーには匹敵するテンションだと思います。評判の良くない2016年レインボーも夏からのUKツアーで評価が上がることを期待しつつ。
  1. 音楽O~R
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摩文仁の丘

糸満へと南へ下る。

沖縄戦は大勢が決した那覇陥落以後も、本土への侵攻を少しでも遅らせるための消耗戦を選択した日本軍により、民間人も巻き込んだ悲劇となったことは誰もが知っているところ、教科書の記述で知るのは簡単ですが、那覇から南へ南へ追い詰められていったその道を実際に通っていくのは同じ知るにしても重みが違います。糸満へ近づくにつれ、さとうきび畑と沖縄石灰岩と森、という、我々のイメージする沖縄戦の光景が広がります。

平和祈念公園。

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沖縄戦終焉の地。
ここ一帯に押し込まれた日本軍と沖縄の人々は、およそ2か月近くも極限状態に耐えねばなりませんでした。
広大な敷地には資料館、祈念棟等を配し、一体として戦没者への慰霊の場を形成しています。断崖からの海原が非常に綺麗で、やはり70余年前にあのような惨劇が起こったとはとても思えませんが、ここで数万の人々が命を失ったことを思うと、この美しい風景が全く違うものとして映ってしまう、これもまた悲しい。
多くの貴重な証言を見る/読むことができる資料館を後に、「平和の礎」へ。

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満州事変以後の戦争で命を落とした沖縄の方々、そして沖縄戦で戦死された方々の名前が、人種軍民の区別なく刻まれています。
18万の戦死者、と数で言ってしまうのは簡単です。しかしそれが名前として現されるとき、18万人それぞれの人生があったこと、そしてその人生をここ沖縄で終えねばならなかったこと、その理不尽と無念を想わざるを得ません。ここに刻まれた人たちは一体どういう思いで死んでいったのか。砲弾の雨の中で、暗くじめじめしたガマの中で、そして断崖絶壁の上で―日々安穏と暮らしている僕らには到底想像のできないものであり、哀痛極まりない。戦争とはただただ凄惨でしかないことを再び思います。それは勝ったアメリカ兵も違いはないことを、この碑が教えてくれます。

丘の上には、戦没者墓苑があります。
波の音が聞こえ海原が見下ろせるここで、せめて安らかに眠っていただきたい。
現在でもこの墓苑への遺骨の収容は続いています。その遺骨は誰のものかも分かりませんが、それは同時に取りも直さず、平和の礎に刻まれた「誰か」です。今までこんな気持ちで手を合わせたことはありません。

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この海の青さが綺麗であればあるだけ、悲しみも深いように思います。
僕はこれまで散々戦争について考えていたつもりでしたが、今回沖縄に来て、初めて戦争というものを理解したように思います。どんな文章も映画も、実際の場所に来てみて経験する以上のものではない、そういう旅行でした。何か書き足らないようにも思いますが、考えれば考えるだけ悲しいのでこの辺にしておきます。
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浦添ようどれ

翌日。
さーたーあんだぎーをつまみにオリオンビールを呑みすぎ寝坊した結果行動範囲が限られる事態に(阿保

浦添ようどれ

琉球古王朝の陵墓であり、古都です。京都に対する奈良みたいな
あえて首里城をスルーするこの勇気ね。(まじバカ
ナビに従いすぐそこまで来ているのにたどり着けない現象が発生、3週くらいしてやっと脇道に看板を見つけ、到着。これはわからん

歴史館みたいなのがあって、発掘品や陵墓内部のレプリカなどが見れます(石棺内の骨まで再現してあって本格的)。地方の歴史館系は大概金の無駄なことが多いのですが、逆にここを見ずにようどれだけ行っても片手落ちだと思います。休日にも関わらず僕一人しかいないこともあり案内のおばちゃんに概説してもらいながら1時間ほど話し込む。こういうのいいですよね
石棺の意匠が仏教だったり、発掘された高麗瓦の銘文が高麗の三別抄滅亡と同年であり、琉球まで逃げてきた高麗人が作った可能性があるというのは興味深かったです

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この歴史館はかつての首都であった浦添城跡に建っており、遷都と戦争で城跡としてはほとんど面影を残していないとのこと、確かに城壁の一部が再現されている程度で、昨日の勝連城のようにはいきません。「ハブに注意!」と言う看板がいかにも沖縄。

ようどれ=夕凪の意味とのことで造営したのは英祖、かなり初期の王でなのですが発掘調査の結果、歴史書の記述通りの13世紀造営が裏付けられたとのことで、その存在は伝説上に留まらないことが確かめられました。すげえ
実証も去ることながら王朝が変わっても、400年間伝承が正確に伝えられてきたということでもあり、何が何やら分からなくなっている天皇陵とはえらい違い(ry

代々の王朝に大切に守られてきましたが沖縄戦でここ浦添城跡は那覇防衛の最重要拠点として激戦地となり、ようどれは大きな被害を受けました。近年になって調査及び復元がなり、ほぼ当時の姿を取り戻したとのことです。

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城壁の脇道を下へ降りていったところに、ようどれはあります。勝連城のような石垣が印象的、戦前に写真撮ってたんでここまで詳細な復元ができたんですね、岩盤を刳りぬいて作った門は爆撃で天井がなくなってしまっているのは非常に残念。これがあるとないとでは印象が全く変わりますね。なんとか復元できんもんでしょうか

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同じ場所の戦前の写真。うーむ凄い
いかに復元できたとはいえ、この光景は帰ってきません。返す返すも残念です。

墓前。

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だーれもいない、とても静か。
こういうのを求めて旅行していると言っても過言ではありません。首里城だったらこうはいかないでしょうね
沖縄県とかいって日本の一部であることが大前提になってますが、元はと言えば琉球王朝という一つの国だったわけで、その聖地であったこの場所は何とも言えない静謐と歴史の重みを感じます。頭を垂れます。

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ようどれから見えるのは浦添湾、米軍の上陸地です。これから向かうは糸満。
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シュガーローフ

一人で心細かったので泊りは慣れてる某チェーンホテル。どこでも内装が一緒なので帰ってきた感があるのです笑

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場所はおもろまちだったわけですが、この一帯だけ妙に新しい…なるほど元米軍基地。うるまから那覇へ戻る途中にもやたらとフェンス囲いがありました。やはり百聞は一見に如かずですね。しかしこのおもろまち、日本の典型的地方都市という趣で、「沖縄的」雰囲気が希薄なのが残念。もうちょっと行政が街並みに口出ししても良かったのでは…

このおもろまち一帯は米軍基地という以前に、那覇防衛戦最大の激戦であった「シュガーローフの戦い」があった場所でもあります。現在では返還以降の再開発でかつての戦場は見る影もなく、那覇の町が一望できる高台という程度ですが、その眺望はすなわち那覇防衛の最重要拠点であるということでもあります。

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シュガーローフ/すり鉢山-は、大きな給水タンクに辛うじてその残滓を残しています。これも本来ならなくなる予定だったのが、地元の運動で残ったんだそうです。周りを削れるだけ削って、もはや崖みたいになってしまっていますが、このてっぺんを奪い合って1週間で日米合わせて数千人が亡くなった、まさにその地です。

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この風景を見ていると、70余年前にこの地でそんなことが起こったとはとても思えません。しかし現在でも土中からは遺骨や砲弾が発見される。ここは特に米軍基地であったために、用地返還後の再開発でようやく遺骨の収集がなされたとのことです。犠牲者の方々は力尽きたそのままの姿勢で発掘されます。まことにいたたまれない。ここの再開発では当初は遺骨収集の予定もなかったとのことで、せめて最期くらいはきちんとしたところで眠ってもらうよう取り計らうのが、国の責務ではないでしょうか。
沖縄戦は過去のものとしてしまえるものではないと思います。

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今では平和そのものの那覇の町を眺め、手を合わせることしかできない。
沖縄に来る、ということは第二次世界大戦の戦地を訪れること、と同義であることを、強く認識させられました。
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Cemetery Gate

>勝連城見に行ってくれたか!
>あの石垣は一見の価値があるからね。


ありました。
お客さんの立地に感謝です。じゃなきゃうるま市に行ってないですからね

うるま市からの帰り道、これまた本土では見れない光景が。
丘陵に並ぶ灰色の屋根、屋根、屋根…はじめは団地かなんかかと思いましたがどうも違う、

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おおー墓か!
山の斜面とかに唐突に現れるもんですから脇見運転の嵐、何もかもが新鮮なので目移りしまくりでほんとこの旅行で良く事故らんかったなと笑

沖縄の葬送文化が生んだこの巨大な墓、近年では火葬に変わり小型化したとはいえ、その独特さはいささかも減じていません。
この墓石が軒を連ねる光景は、こう言っちゃなんですが壮観ですらあります…墓好きには何とも興味深い。古い墓の多くは戦争と米軍基地建設により破壊されてしまったのは非常に残念
宗教観/祖先観の違いを端的に現しているものが墓でありましょうから、沖縄のそれが本土といかに離れているかがよく分かります。比較するもんでもありませんが、同じ先祖を祀るにしても、谷中墓地とはえらい違いやなあと(ry

いやー凄い。沖縄好きな人の気持ちが分かってきた。
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